初めての発掘調査…その6

はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


4日目は初めて別のトレンチの配属になりました。その中の1つの穴(直径40cmくらい)を一人で担当することになりました。

といっても、まずは余分な石や砂を取り除いて穴の状態をキレイにして、
次に土の色が変わるまで(下の層が見えるまで)穴を掘り下げて、
最後に穴の形を整えるだけだったので、数時間で終わりました。


その後は同じトレンチ内の別の仕事にまわりました。先輩が3ヵ所掘ってくれるので、そのうち2ヵ所のふるいがけをし、あと1ヵ所はふるいをかけずに炭化物を採取しました。サラサラした砂で初日のふるいより全然マシでしたが、大きな礫(れき)が沢山混ざっていてその点は大変でした。

(続く)

初めての発掘調査…その5

はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


3日目の午後からは平面図の作成に取りかかりました。層位図は横から見た図でしたが、平面図はトレンチを上から見た図です。

これも層位図の時と原理は一緒で、x軸方向・y軸方向の距離を測りながら図面上に点をおとして描いていきます。


そして夕方からは、土器の取り出しにかかりました。大きめの土器片が側面にいくつか見えていたので、それを掘って取り出す作業です。先輩が作業にあたり、私はその様子を間近に見ることができました。近くから須恵器(※4)の欠片も出てきて、攪乱(※5)が起きていることがわかったりして、面白かったです。

(続く)


※4…須恵器(すえき)は、奈良時代以降に作られた朝鮮由来の土器。よく比べられるのが日本由来の土師器(はじき)。須恵器は灰色で、土師器は赤褐色。形にも特長があります

※5…普通は古い地層が下に・新しい地層が上に積もりますが、耕作や天災などによって地層の新旧がめちゃめちゃになっている場合があり、これを攪乱と言います。縄文土器と奈良以降の須恵器という何千年も時代の開きがある遺物が同じ層から見つかるというのは不自然なことで、地層に攪乱が起きていることがわかるのです

初めての発掘調査…その4

はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


3日目はまず最初に、2日目の層位図の続きで、土の色味を見ました。各層がどんな色をしているのかを記録していくのですが、2つの方法を用いて調べていきました。

1つめは、色土帳を用いる方法です。色土帳という色の見本を参照しながら、人が目で見て確認するというやり方です。

2つめは、色土計という機械を用いたやり方です。カメラみたいなものがついており、それを土に押しあててボタンを押すと画面に色情報が表れるというものです。

以上2つの方法で二重に調べました。
これでようやく層位図の完成です!


次に、土壌サンプルの採取を行いました。1つの層から二ヵ所ずつ、各200cc(合計400cc)採取しました。発掘に参加してから未だに土を掘るということをしてこなかったので(発掘終盤なので掘るよりも記録をつける段階になっているから)、やっと土を掘る大変さを体験できました


(続く)

初めての発掘調査…その3

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はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


私のトレンチの二日目の作業の中心は層位図の作成でしたが、午後に現地説明会があったため少し作業を中断したりしました。

まずは層位図とはなんぞや?って話ですね。簡単に言えば、地層の断面図です。理科の教科書とかで、断層とか習うときに見るような、ああいう感じの図です。

トレンチは掘り下げられているので、地面の下の様子がよく見えます。地層がどんな風になっているのかを、方眼紙に写し取っていくのがこの作業です。

層位図を描く前に必要なのは、分層という作業です。地層がどのように積もり・重なっているのかを見極めて、分かりやすいように線を引いていくのです。私なんかは素人ですし出来るわけがないので、3回生の先輩方が分層をし、私はその際に出る土を掃除する係をやりました。

分層が済んで初めて層位図に取りかかれます。どのように作成していくのかを言葉だけで説明するのは難しいのですが、簡単に言えば、x軸方向・y軸方向に距離を測って、それを縮小して図面におとしていくというだけの話です。私が数値を読み上げ、先輩が図を描きました。


現地説明会は、地元の人や考古関係者を中心に子供から大人まで約50人もの参加がありました。先生は20人くらいを予想していたらしいのですが、思った以上に人が来て良かったです(^ω^)
私的には小学生が何人も来てくれて驚きました。

現地説明会というのは、発掘がほぼ終わった頃に調査の成果を発表するために開きます。私が参加した5日間は本当に最終段階だったので、現地説明会にも参加できたのです。先輩方も質問に答えていました。小学生も、なんで?どうして?これ何?の盛りで、私も少し相手をしました(笑)

現地説明会は発掘の成果を一般の方に知ってもらう良い機会です。興味があれば、お近くで発掘調査があった際にでも是非参加してみて下さい(´∀`)


(続く)

初めての発掘調査…その2

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はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


まず初日は、レベル(※2)を用いてトレンチ内の各所の標高を調べることから始まりました。レベルの使い方は授業で習って何回か練習したことはありましたが、現場で実践するのは初めてでちょっと緊張しました。(レベルの詳しい使い方は以前紹介しているのでそちらをご覧ください)

それから後は、私は一日中ふるいがけをやっていました。トレンチ内で先輩方が深掘りをし、その掘った土を私たちがふるいにかけるのです。ふるいにかけながら、遺物(※3)がないか探していきます。

もう少し詳しくふるいがけについて説明します。合計で何リットルふるいにかけたのかというのも記録しなければなりません。後で、リットルあたりの遺物の割合を数値化する(遺物密度という)ためです。この研究手法は古墳の調査などではよく使われますが、縄文の発掘調査ではあまり用いられたことがないそうで、新しい試みなのだと先生は仰っていました。

なので毎度ふるい台帳に記録しながら、10リットルずつふるいにかけていきました。他のトレンチ同様にサラサラした砂ならふるいも楽なのですが、私がいたトレンチの土は粘土質でちっともふるいの網の目を通らず、指でこしながらの作業だったので本当に苦労しました。炎天下の中ひたすらふるい続け、今思うと初日の作業が一番大変だったように思います。

(続く)


※2…レベルは標高を測るのに使用する機械です。よく道路工事の前とかにおじさんたちが棒を立てて覗いている、アレです
(レベルの詳しい使い方はこちら

※3…遺物とは、土器や石器や炭化物など、遺跡から発見される、人が暮らしていたことを示す証拠のこと

初めての発掘調査…その1

はじめに:調査内容を流出させないために遺跡の詳細はふせ、写真も載せません。発掘ってこんな事するんだ!っていうのを一般の方にも分かってもらえるようにというのがこの記事の主旨です。


今回の発掘調査は8月の半ばから1ヶ月にわたって行われてきました。その中で私が参加したのは一番最後の5日間です。つまり現地調査の最終段階・仕上げ段階であり、大変貴重な体験ができました。

今回調査したのは、滋賀県内にある縄文晩期の遺跡です。以前甕棺(※1)が出土しており、今回はその続きの調査ということになります。

遺跡はいくつかの区画に分けて掘られていて、その区画の1つひとつをトレンチと呼びます。私ははじめの3日間は同じトレンチで作業をし、4日目は別のトレンチに配置され、5日目は内業という屋内作業の担当になりました。

…と、ここまでは概要を述べてみました。
それでは具体的な作業内容を見てみましょう(^ω^)

(続く)


※1…遺体を入れて埋葬するための甕(縄文土器)のことを言う。甕棺墓という墓制に用いられた

台風の被害は文化財にも・・・。


どうも御無沙汰しております、神風川です。
すっかり放置したまんま9月に入ってしまいました…ゴメンナサイ;;;

言い訳っつーのは見苦しいからしたくないけど、
一体てめぇは今まで何をやってたんだっつー話をすると、

8月末はサークルの合宿で中山道の旅に出ておりまして、
帰ってきた途端に台風が京都をかすめていきやがりまして、
そして気が付いたらレポートやらなんやらを片付けねばならない時期にさしかかっておりました。
まぁ要するにここ数日はレポートとの格闘の日々…ということにしておいてください←

十津川の報道で皆さんご存知のように、
紀伊半島は台風で最悪の被害を被りました。
(十津川と聞くと龍馬暗殺を思い出すんだよね…というのは戯言ですが)

京都は(保育園の屋根がめくれた以外は)そんなに被害は大きくありませんでしたが…二条城の障壁画が気がかりでなりません。

文化庁の7日の発表では、8府県で国宝3件・重文10件を含む36件の文化財に被害があったとのこと。
6日の発表では6府県で24件の文化財(内、国宝2件)とのことだったので、一気に数が増えてショックでなりません。被害の全容が明らかになりつつある時期ですから、これからまた数が増えるかもしれません。

この連日の発表に上がっている被害を受けた国宝の1つが二条城の障壁画なのです。
二の丸御殿大広間の障壁画が2面、破損したそうです。
破損がどの程度なのか存じていませんが、檜皮葺の屋根が約6平方メートル吹き飛んだ(滋賀・善水寺)、「御旅所」が河原ごと消失した(和歌山・熊野速水大社(世界遺産の一部))などの他の文化財に比べれば、被害は軽い方なのかもしれません。

でも文化財は人類共有の財産なのですから、被害の大小に関わらず重要視すべき問題だと言えると思います。


さて、長州旅の続きも載せないままブログ更新がおろそかになってしまっていますが、
正直なところを申しますと、ちょっと今は忙しくてなかなか手がまわりません。
まだ夏休みは3週間弱ありますが、10日からは大学の授業の一環で泊りがけで遺跡の発掘調査にも行かねばなりませんし…。

なので、のんびり構えて、気長に更新を待っていていただけたらなと思います(笑)